2018年1月19日 (金)

第一次上田合戦 徳川軍の戦略

この戦の時は武田旧臣が主体の軍でしたので
信虎さん時代の戦、「神川の戦い」を参考に
神川で真田氏と戦う予定だったのではないでしょうか。
それが、予期しない攻城に誘い込まれ
主導権を奪えないまま負けてしまった。

そこで、プランを変え
千曲川左岸地域を奪取し真田氏に圧力を加えるとともに
屋代氏との連絡路確保、
室賀さんの旧領を回復といった戦略に
変更したのではないでしょうか。
室賀さんの働きがめざましかったのは
このあたりにも要因がありそうで出すね。

ところが、要所の城を強化しており
なかなか城を落とせないで、膠着しているところに
石川氏出奔の大事件が発生し
撤退ということになったのではないでしょうか。

徳川さんの青写真をイメージしてみました。

真田氏との戦はキャンペーンの一部たったかもしれませんね

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2018年1月17日 (水)

第一次上田合戦時の真田氏の戦略

第一次上田合戦について気になっていることを書きたいと思います。

上田城の記事を書いていて気がついたのですが
第一次上田合戦の時に徳川軍が千曲川左岸地域
(とくに塩田平)を制圧してじっくり上田城を攻めたら
真田氏も窮地におちいったのではないかと。

千曲川左岸地域は真田氏の領地の中でも
新しく獲得した領国なので、敵対していた土豪が多い地域です。
ここに徳川軍が攻めてきたら、このような土豪を吸収して
軍を増強するとともに、真田氏の領国を切り取ることができるからです。

このような視点で絵を描いてみると
真田氏は神川と依田川を防衛線にしていた様子が伺えます。

・真田郷(神川上流)は砥石城、矢沢城でおさえる。
・塩田平への千曲川渡河点は小牧城で押さえる
・依田川は丸子城城砦軍と尾野山城で押さえる

これらのポイントが特に重要なポイントと考えられますよね。

一方で、国分寺周辺の神川渡河点には
防御陣地はなさそうな感じです。
徳川軍を誘い込む罠の匂いがしますよね。
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塩田地域への進入経路

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真田氏分家の館の位置追記(徳川軍の侵入経路にあるのが興味深い)

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2018年1月15日 (月)

本の紹介 歴史群像

歴史群像No.146に発掘結果から推測した諏訪原城が
No.147に西股氏の馬出についての記事が載っていました。

この記事を読んで感じたことなのですが
・発掘結果
・古文書
・軍事技術
・設計思想
これらの観点から、当時の姿を
考えていく必要があるのではと思いました。

追記

出展は忘れましたが、長い攻城戦のすえ

徳川軍は破城槌で突入口をつくって

場内に突入したとのことです。

2018年1月 7日 (日)

真田氏時代のメイン街道

真田氏時代は六寸街道が開通していなかったので
当時のメイン街道は善光寺街道だったようです。
予想で当時の街道を考えて見ました。

すいません適当な図です
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2018年1月 2日 (火)

総構

通常のが城の総構は城を中心に構築されていますが
上田城の三ノ丸部分にはありません。
これは上田城が指向性を持っているからだと考えられます。

そのため、上田城の総構は敵を三ノ丸に誘導する目的で
構築されたのではないかと考えられますが
いかがおもわれますか?
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2017年12月 4日 (月)

真田氏時代の構造物

以前の記事で、二の丸の金箔瓦が見つかった箇所に
徳川軍を誘い込んで殲滅するドクトリンがあるのでは?
と記事に書きました。

それを実現するには、木造の構造物が必要だと思われるので
絵を描いてみました。
イメージは大阪冬の陣で真田丸につくられた構造物です。
図のように配置されていると数千の敵は討ち取れると思うのですが
いかがおもわれますか。

真田丸は真田氏時代の上田城本丸を模して作られた
と考えるのもロマンがありますよね。
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2017年11月12日 (日)

小泉古城(小泉曲輪)の解説

小泉古城は仙石氏時代は捨郭として
重要視されていませんでしたが
真田氏時代は詰部として重要視されていたと推察できます。
その理由を以下に記します。

①広大な面積を有しているにもかかわらず防御ラインが短い
②幅が広い水堀、谷、千曲川に囲まれており要害である
③総構内の市街地とは一騎駆けの土橋2つでつながっており
  補給物資を入手しやすく、守りやすい。
④城外との連絡がとりやすい。

といった点です。
宜しければ図をクリックしてみてください
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2017年11月11日 (土)

上田城の戦術

一般的に上田城は堅城ではないという説が流布していますが
じっくり観察してみると実によく考えられた縄張りになっています。

千曲川と旧蛭沢川・矢出沢川に挟まれた
舌状台地を最大限に利用して
台地の奥に敵を誘いこみ、
殲滅する仕組みになっています。

宜しければ図をクリックしてみてください。
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2017年11月 5日 (日)

上田城 再訪のおすすめ

以前記事にした上田城の見所を
地図にまとめてみました。

説明は省きますが
①から順にフィールドを散策すると
上田城の縄張り、要害性が感じられると思います。
山城探索のついでにいかがですか。
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2017年10月12日 (木)

上田城の三ノ丸 戦術解説

真田氏時代の上田城の三ノ丸には
現在の上田高校の位置に堀をめぐらした寺があったそうです。
(歴史群像参照)

そこで、この寺の戦術的意味合いを地形から
考察してみました。
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図を見ていただくとよくわかると思うのですが
大手を突破できなかった敵の進入経路を押さえると同時に、
防御力が弱い空堀を突破した敵が
河岸段丘の崖と崖に挟まれた空間で身動きが取れない敵を
殲滅する位置に寺が位置していることがわかります。

シンプルに見えますが、上田城の縄張りはよく考えられていますね。

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