2018年6月24日 (日)

鳥羽城 大手道の考察

城館一体型の形式とおもわれる鳥羽城ですが、
館から城に至る大手道が岩場のピークを通っていることが
不思議で、どうやって女性や子供が城に登城したのだろうと
昔から疑問に思っていました。
何気なく地図を見ていたら、
女性や子供が上れそうなルートに気がついたので
地図に書き込んでみました。
この地域には、水ノ手城という高難易度の山城があるのですが
鳥羽城と似た選地をしているので興味深いです。
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2018年6月18日 (月)

帰雲城

天正地震で発生した土石流に
街ごと飲み込まれてしまった帰雲城の位置を
推定してみました。
①土石流は直線状に流れやすい。
②街を造るには斜面より平地が適している
③城を造るのに適した舌状地形がある
という視点で位置を考えてみました。
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2018年5月13日 (日)

風の谷のナウシカ

山城とは関係ないネタです。

皆様は風の谷のナウシカの原作読んだことがありますか?
映画のナウシカとはまったく違う内容なのですが
知らない人が多いようで、原作を読んでない人が多いようです。

今回話題にしたいのが原作の3巻です。
クシャナ殿下が指揮官としてかっこよすぎるんです。
読んだ事がない方はぜひ手にとって見てください。

馬場美濃守さんや山県昌景さんが
生きていたら同じようなカリスマをもっていたのかな
と妄想してしまいます。

好きなシーンを書いてみますね

「私の部下が死んでいく

 バカな!!第三軍は神速の機動攻撃を旨とする装甲集団だぞ

 このような拠点防御に不向きな兵種をムザムザと!」

「殿下手遅れです、お気持ちは判りますが退避命令を!」

「旋回を続けろ、見届ける!」

「戦旗をかかげよ!!」

2018年5月 4日 (金)

名胡桃城

北条攻めのきっかけになった名胡桃城ですが
なぜ北条さんは欲しかったのか
なぜ真田さんは墳墓の土地と主張してまで領有したのか
ずっと疑問に思っていたのですが
絵を描いてみてその理由がわかりました。

その前に、交易について少し説明をさせてください。
当時は波の荒い太平洋を海運につかう技術がなかったので
博多、敦賀(京都に最も近い)、直江津、秋田湊
といった日本海を使った海運が主要な交易ルートでした
(参考資料 http://proto.harisen.jp/sengoku-minato.html )
当時の大名が最も欲しがったものは国産化で来ていなかった
火薬(硝石)だったとおもうのですが、上記の理由から
北条さんは越後からの交易によって
大量に火薬を得ていたと推測できますよね。

絵を描いてみるまでは
越後→三国峠→沼田と通る街道は全て北条さんの
領土内を通っていたと思っていたのですが、
実際は越後→三国峠→名胡桃→沼田というルートだったんですね。
ということは、

・北条さん 安定した交易(火薬の入手)を行うには名胡桃が必要
・真田さん 名胡桃を失うと安定した交易(火薬の入手)が困難になるため
        死守しなければならない領地

ということが推測されますよね。
豊臣さんが北条征伐の理由を作るために
名胡桃を真田領にしたという説がありますが、
下記の絵を見ていただければ
真田さんが名胡桃を手放さなかった理由が
わかりやすいかと思われます。
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2018年4月15日 (日)

楽巌寺城

異形の城で有名な楽巌寺城。

視点を変えてみると
普通の城なのでご紹介したいと思います。

布引観音で有名な山岳寺院の釈尊寺は
武装寺院だったようで
釈尊寺の周囲の尾根には城砦が築かれています。
この尾根が山の頂でつながっていればよかったのですが
離れていてつながっていません。
そのため、2つの尾根をつなぐ形で城砦を造ったら
細長く、崖を背にした形になってしまったのだと思います。

また、楽巌寺と名前が残っているので
武田氏が手を入れる以前にも
土塁や空堀があったのではないでしょうか。
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2018年3月25日 (日)

堀の内城

二重の丸馬出が有名な
堀の内城の縄張りを分析してみました。
いままでは、ひとつの郭だと思っていましたが
縄張りを読み解くと本郭とニ郭に分かれている
ような気がしてきました。

宜しければ図をクリックしていただければ幸いです。
Photo

確か、小諸市史に詳しい解説が載っていましたので

機会があったら読んでみる事をお勧めします

2018年3月22日 (木)

お勧めの攻城兵器

お勧めの攻城兵器をご紹介します。

①測定ポール 伸縮タイプ

これは秋から春に大活躍します。
枯葉ですべる場所でとても重宝します、
しかも、測量に使えて、
伸縮するので車に乗せるのにも便利。

②山の下草狩り用スパイク長靴

 (丸五 マジカルスパイク900を使用しています)

③防刃手袋(滑り止めつき)

 (作業用手袋 軍手 防刃手袋 耐切創レベル5を使用しています)

②③これは野バラ対策です。足に引っかかって痛くない膝下まであるもの

滑って手をついたときに、野バラがあっても貫通しない視点で選びました。

追記

伸縮しない測定ポールが車に入るのであれば

こちらのがお勧めです。力を入れた際に縮むと危ないからです。

2018年3月21日 (水)

旭山城の石垣についての考察

石垣の城だったと考えられている旭山城は
善光寺別当、栗田氏の詰城です。

当時は、公的権力か寺社しか
石垣を造ることができなかったようですので
栗田氏が石垣を築いたと考えるのが
自然な感じがします。

2018年3月19日 (月)

北信濃の石積の城についての考察

北信濃には石積の城があるのですが
森さんが川中島4郡に入部してから
もともと土の城だったものを
石積の城に改造したのではないかと
考えるようになりました。

なぜかといいますと、武田さん、上杉さんも
在地土豪の要請や内応を得てから
北信濃に進出し、必要に応じて城を改良しています。
敵前で城の改造をしているわけですから
時間のかかる石積をつくることはなく
堀切を何条も掘ったりして防御力を向上させていたと
推察されます。

ところが、森さん(兄弟)の場合まったく別の場所(美濃地方)から
入部してきたので在地土豪とうまいかず
川中島4郡の支配にはかなり苦労したようで、
人質をとって海津城に住まわせていたそうです。

同時に、在地土豪が人質に会いに行くために通る街道沿いにある城を
石積の城に改造すれば森さんは最新の軍事技術を持っている
と武威を示せると考えたとしても不思議はありません。
(実際に織田さんも見せる石垣城をつくっているので、参考にしたのでしょうか)

上記のような経緯から海津城周辺の石積がある城は
もともと武田さんが修築した土の城を
森さんが石積の城に改造したのではないかと推察していますが
みなさまはいかが思われますか。

2018年3月18日 (日)

とある豊織系の城の大手

豊織系の城なんですが
大手の構造だけは甲斐の国、白山城に
とてもよく似ているのです。

登り石垣、坂虎口、内枡形虎口、高石垣と
すばらしい遺構がてんこ盛りです。

ですが、高石垣の近くによってはいけません
今すぐに崩れそうでとてもあぶないです。
何度も書きますが、本当に危ないです!
趣味で命を落とすなんていけません。

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