2018年4月15日 (日)

楽巌寺城

異形の城で有名な楽巌寺城。

視点を変えてみると
普通の城なのでご紹介したいと思います。

布引観音で有名な山岳寺院の釈尊寺は
武装寺院だったようで
釈尊寺の周囲の尾根には城砦が築かれています。
この尾根が山の頂でつながっていればよかったのですが
離れていてつながっていません。
そのため、2つの尾根をつなぐ形で城砦を造ったら
細長く、崖を背にした形になってしまったのだと思います。

また、楽巌寺と名前が残っているので
武田氏が手を入れる以前にも
土塁や空堀があったのではないでしょうか。
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2018年3月25日 (日)

堀の内城

二重の丸馬出が有名な
堀の内城の縄張りを分析してみました。
いままでは、ひとつの郭だと思っていましたが
縄張りを読み解くと本郭とニ郭に分かれている
ような気がしてきました。

宜しければ図をクリックしていただければ幸いです。
Photo

確か、小諸市史に詳しい解説が載っていましたので

機会があったら読んでみる事をお勧めします

2018年3月22日 (木)

お勧めの攻城兵器

お勧めの攻城兵器をご紹介します。

①測定ポール 伸縮タイプ

これは秋から春に大活躍します。
枯葉ですべる場所でとても重宝します、
しかも、測量に使えて、
伸縮するので車に乗せるのにも便利。

②山の下草狩り用スパイク長靴

 (丸五 マジカルスパイク900を使用しています)

③防刃手袋(滑り止めつき)

 (作業用手袋 軍手 防刃手袋 耐切創レベル5を使用しています)

②③これは野バラ対策です。足に引っかかって痛くない膝下まであるもの

滑って手をついたときに、野バラがあっても貫通しない視点で選びました。

追記

伸縮しない測定ポールが車に入るのであれば

こちらのがお勧めです。力を入れた際に縮むと危ないからです。

2018年3月21日 (水)

旭山城の石垣についての考察

石垣の城だったと考えられている旭山城は
善光寺別当、栗田氏の詰城です。

当時は、公的権力か寺社しか
石垣を造ることができなかったようですので
栗田氏が石垣を築いたと考えるのが
自然な感じがします。

2018年3月19日 (月)

北信濃の石積の城についての考察

北信濃には石積の城があるのですが
森さんが川中島4郡に入部してから
もともと土の城だったものを
石積の城に改造したのではないかと
考えるようになりました。

なぜかといいますと、武田さん、上杉さんも
在地土豪の要請や内応を得てから
北信濃に進出し、必要に応じて城を改良しています。
敵前で城の改造をしているわけですから
時間のかかる石積をつくることはなく
堀切を何条も掘ったりして防御力を向上させていたと
推察されます。

ところが、森さん(兄弟)の場合まったく別の場所(美濃地方)から
入部してきたので在地土豪とうまいかず
川中島4郡の支配にはかなり苦労したようで、
人質をとって海津城に住まわせていたそうです。

同時に、在地土豪が人質に会いに行くために通る街道沿いにある城を
石積の城に改造すれば森さんは最新の軍事技術を持っている
と武威を示せると考えたとしても不思議はありません。
(実際に織田さんも見せる石垣城をつくっているので、参考にしたのでしょうか)

上記のような経緯から海津城周辺の石積がある城は
もともと武田さんが修築した土の城を
森さんが石積の城に改造したのではないかと推察していますが
みなさまはいかが思われますか。

2018年3月18日 (日)

とある豊織系の城の大手

豊織系の城なんですが
大手の構造だけは甲斐の国、白山城に
とてもよく似ているのです。

登り石垣、坂虎口、内枡形虎口、高石垣と
すばらしい遺構がてんこ盛りです。

ですが、高石垣の近くによってはいけません
今すぐに崩れそうでとてもあぶないです。
何度も書きますが、本当に危ないです!
趣味で命を落とすなんていけません。

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2018年3月17日 (土)

長篠の戦い

長篠の戦いでどうすれば武田さんが勝てたか
という点について考察してみました。

勝頼さんが経験している戦で有名なものは
三方ヶ原の戦い、三増峠の戦いだと思うのですが
三方ヶ原の戦いで使った戦術は徳川さんも経験済み
ということで三増峠の戦いを応用すれば
勝機はあったんじゃないかと考えてみました。
脳内シュミレーション結果を以下に記します。

①後方の安全を確保するため、織田&徳川軍が
 長篠城の後詰にあらわれたら総攻撃で長篠城を落とす。
②合戦があった設楽原に陣を構えた後は
  織田&徳川軍が動くまでにあら見合いを続ける。(二、三日でも)
③その後、峠があるルートでかつ、織田&徳川軍の横方向にぬける街道で
  信濃方面に退却する
④長篠城を落とされた徳川軍は面子を保つため追撃してくるので
  峠の鞍部を胸壁に利用して徳川軍拘束し、峠を越えた部隊を転進させ
  徳川軍を拘囲し殲滅する。

イメージ図はこんなかんじです。
Photo

2018年3月10日 (土)

追記 第四次川中島合戦 武田軍の構想

今ままで連載していた記事の追記です。

茶臼山に陣を張った上杉軍が横田城を襲ったら
塩崎城に入れていた武田軍の主攻撃部隊で
後詰を行う予定だったのではないでしょうか。

また、武田軍の旗本部隊は海津城で予備部隊として
待機していたのではないでしょうか。

その状況で、上杉軍が横田城を奇襲
海津城の予備部隊が救援に駆けつけ両軍とも
予想外の遭遇戦に。
遅れて到着した武田軍の主攻撃部隊が戦場に到着した。

という推論も可能性が高いですね。
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2018年3月 5日 (月)

第四時川中島の戦い ファイナル

今までの推論と、現地調査の図を描いていて認識を改めたのですが
当時、最速の機動力を持っていた上杉軍なら
茶臼山から一気に横田城、広田砦、大堀館に
攻撃を加えることができたのではないかと。

仮にそうだとすると、
茶臼山の上杉軍に対して
武田軍は横田城、広田砦、大堀館に
増援部隊を送ると思うのですが

・上杉軍は武田軍の増援部隊がまだ到着していないと判断
・武田軍は上杉軍がまだ攻撃してこないと判断

と双方とも状況を十分に把握できていない(誤認していた?)ので
予想外の遭遇戦なってしまったという可能性が

もっとも、事実に近いような気がしています。

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2018年3月 4日 (日)

第四次川中島の戦い 現地調査

現地調査の結果です。

・戸隠の間道をつかって上杉軍は茶臼山に姿を現す。
・上杉軍の目的は、横田城、広田砦、大堀館の奪取

という仮定で話を進めたいと思います。

前置きは省きます、武田軍を鞍骨城におびき出すためには
唐崎城、鷲尾城を攻撃する構えをとらなければならないのですが
これを行うには、屋代の渡し、雨宮の渡しを超えて
倉科に進出しなければならないのですが
この地は陣をおける場所がないんです。
背後は千曲川、周囲は唐崎城、鷲尾城、屋代城に囲まれていて
まさに、袋の中のねずみ。
かろうじて、唐崎城の真正面なのですが薬師山というピークが
唯一陣を置けそうな場所として存在しています。
(妻女山はその尾根筋になります)
上杉軍はこの薬師山に兵を置き武田軍を天城城に
おびき出したと考えられないでしょうか。

対する武田軍ですが、竹山城経由ではなく
二本松峠を使って天城城に兵を送り込んだのではないでしょうか。
峠として整備された道を使えば大軍を天城城に送り込めます。

以上の点を考慮すれば今回の推論も
可能性は0ではないとおもうのですが
みなさまはいかがおもわれますか。

ちなみに、茶臼山から陣を動かさないと

武田軍は横田城、広田砦に兵を動かすので

武田軍の陽動はできないと思うのですが・・・。

この考察は次回に

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