2018年5月13日 (日)

風の谷のナウシカ

山城とは関係ないネタです。

皆様は風の谷のナウシカの原作読んだことがありますか?
映画のナウシカとはまったく違う内容なのですが
知らない人が多いようで、原作を読んでない人が多いようです。

今回話題にしたいのが原作の3巻です。
クシャナ殿下が指揮官としてかっこよすぎるんです。
読んだ事がない方はぜひ手にとって見てください。

馬場美濃守さんや山県昌景さんが
生きていたら同じようなカリスマをもっていたのかな
と妄想してしまいます。

好きなシーンを書いてみますね

「私の部下が死んでいく

 バカな!!第三軍は神速の機動攻撃を旨とする装甲集団だぞ

 このような拠点防御に不向きな兵種をムザムザと!」

「殿下手遅れです、お気持ちは判りますが退避命令を!」

「旋回を続けろ、見届ける!」

「戦旗をかかげよ!!」

2018年5月 4日 (金)

名胡桃城

北条攻めのきっかけになった名胡桃城ですが
なぜ北条さんは欲しかったのか
なぜ真田さんは墳墓の土地と主張してまで領有したのか
ずっと疑問に思っていたのですが
絵を描いてみてその理由がわかりました。

その前に、交易について少し説明をさせてください。
当時は波の荒い太平洋を海運につかう技術がなかったので
博多、敦賀(京都に最も近い)、直江津、秋田湊
といった日本海を使った海運が主要な交易ルートでした
(参考資料 http://proto.harisen.jp/sengoku-minato.html )
当時の大名が最も欲しがったものは国産化で来ていなかった
火薬(硝石)だったとおもうのですが、上記の理由から
北条さんは越後からの交易によって
大量に火薬を得ていたと推測できますよね。

絵を描いてみるまでは
越後→三国峠→沼田と通る街道は全て北条さんの
領土内を通っていたと思っていたのですが、
実際は越後→三国峠→名胡桃→沼田というルートだったんですね。
ということは、

・北条さん 安定した交易(火薬の入手)を行うには名胡桃が必要
・真田さん 名胡桃を失うと安定した交易(火薬の入手)が困難になるため
        死守しなければならない領地

ということが推測されますよね。
豊臣さんが北条征伐の理由を作るために
名胡桃を真田領にしたという説がありますが、
下記の絵を見ていただければ
真田さんが名胡桃を手放さなかった理由が
わかりやすいかと思われます。
Photo_2



2018年4月15日 (日)

楽巌寺城

異形の城で有名な楽巌寺城。

視点を変えてみると
普通の城なのでご紹介したいと思います。

布引観音で有名な山岳寺院の釈尊寺は
武装寺院だったようで
釈尊寺の周囲の尾根には城砦が築かれています。
この尾根が山の頂でつながっていればよかったのですが
離れていてつながっていません。
そのため、2つの尾根をつなぐ形で城砦を造ったら
細長く、崖を背にした形になってしまったのだと思います。

また、楽巌寺と名前が残っているので
武田氏が手を入れる以前にも
土塁や空堀があったのではないでしょうか。
Photo

2018年3月25日 (日)

堀の内城

二重の丸馬出が有名な
堀の内城の縄張りを分析してみました。
いままでは、ひとつの郭だと思っていましたが
縄張りを読み解くと本郭とニ郭に分かれている
ような気がしてきました。

宜しければ図をクリックしていただければ幸いです。
Photo

確か、小諸市史に詳しい解説が載っていましたので

機会があったら読んでみる事をお勧めします

2018年3月22日 (木)

お勧めの攻城兵器

お勧めの攻城兵器をご紹介します。

①測定ポール 伸縮タイプ

これは秋から春に大活躍します。
枯葉ですべる場所でとても重宝します、
しかも、測量に使えて、
伸縮するので車に乗せるのにも便利。

②山の下草狩り用スパイク長靴

 (丸五 マジカルスパイク900を使用しています)

③防刃手袋(滑り止めつき)

 (作業用手袋 軍手 防刃手袋 耐切創レベル5を使用しています)

②③これは野バラ対策です。足に引っかかって痛くない膝下まであるもの

滑って手をついたときに、野バラがあっても貫通しない視点で選びました。

追記

伸縮しない測定ポールが車に入るのであれば

こちらのがお勧めです。力を入れた際に縮むと危ないからです。

2018年3月21日 (水)

旭山城の石垣についての考察

石垣の城だったと考えられている旭山城は
善光寺別当、栗田氏の詰城です。

当時は、公的権力か寺社しか
石垣を造ることができなかったようですので
栗田氏が石垣を築いたと考えるのが
自然な感じがします。

2018年3月19日 (月)

北信濃の石積の城についての考察

北信濃には石積の城があるのですが
森さんが川中島4郡に入部してから
もともと土の城だったものを
石積の城に改造したのではないかと
考えるようになりました。

なぜかといいますと、武田さん、上杉さんも
在地土豪の要請や内応を得てから
北信濃に進出し、必要に応じて城を改良しています。
敵前で城の改造をしているわけですから
時間のかかる石積をつくることはなく
堀切を何条も掘ったりして防御力を向上させていたと
推察されます。

ところが、森さん(兄弟)の場合まったく別の場所(美濃地方)から
入部してきたので在地土豪とうまいかず
川中島4郡の支配にはかなり苦労したようで、
人質をとって海津城に住まわせていたそうです。

同時に、在地土豪が人質に会いに行くために通る街道沿いにある城を
石積の城に改造すれば森さんは最新の軍事技術を持っている
と武威を示せると考えたとしても不思議はありません。
(実際に織田さんも見せる石垣城をつくっているので、参考にしたのでしょうか)

上記のような経緯から海津城周辺の石積がある城は
もともと武田さんが修築した土の城を
森さんが石積の城に改造したのではないかと推察していますが
みなさまはいかが思われますか。

2018年3月18日 (日)

とある豊織系の城の大手

豊織系の城なんですが
大手の構造だけは甲斐の国、白山城に
とてもよく似ているのです。

登り石垣、坂虎口、内枡形虎口、高石垣と
すばらしい遺構がてんこ盛りです。

ですが、高石垣の近くによってはいけません
今すぐに崩れそうでとてもあぶないです。
何度も書きますが、本当に危ないです!
趣味で命を落とすなんていけません。

Photo

2018年3月17日 (土)

長篠の戦い

長篠の戦いでどうすれば武田さんが勝てたか
という点について考察してみました。

勝頼さんが経験している戦で有名なものは
三方ヶ原の戦い、三増峠の戦いだと思うのですが
三方ヶ原の戦いで使った戦術は徳川さんも経験済み
ということで三増峠の戦いを応用すれば
勝機はあったんじゃないかと考えてみました。
脳内シュミレーション結果を以下に記します。

①後方の安全を確保するため、織田&徳川軍が
 長篠城の後詰にあらわれたら総攻撃で長篠城を落とす。
②合戦があった設楽原に陣を構えた後は
  織田&徳川軍が動くまでにあら見合いを続ける。(二、三日でも)
③その後、峠があるルートでかつ、織田&徳川軍の横方向にぬける街道で
  信濃方面に退却する
④長篠城を落とされた徳川軍は面子を保つため追撃してくるので
  峠の鞍部を胸壁に利用して徳川軍拘束し、峠を越えた部隊を転進させ
  徳川軍を拘囲し殲滅する。

イメージ図はこんなかんじです。
Photo

2018年3月10日 (土)

追記 第四次川中島合戦 武田軍の構想

今ままで連載していた記事の追記です。

茶臼山に陣を張った上杉軍が横田城を襲ったら
塩崎城に入れていた武田軍の主攻撃部隊で
後詰を行う予定だったのではないでしょうか。

また、武田軍の旗本部隊は海津城で予備部隊として
待機していたのではないでしょうか。

その状況で、上杉軍が横田城を奇襲
海津城の予備部隊が救援に駆けつけ両軍とも
予想外の遭遇戦に。
遅れて到着した武田軍の主攻撃部隊が戦場に到着した。

という推論も可能性が高いですね。
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